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第50回 石黒昇、板野一郎、庵野秀明、三世代そろった『超時空要塞マクロス』の現場
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[ カテゴリ 氷川竜介のチャンネル探訪 ] 2012-05-08 12:55:04
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第48回でも解説したことを、もう少し掘り下げてみます。庵野秀明監督と話したとき、「『超時空要塞マクロス』は三世代がそろった現場だった」という指摘がありました。石黒昇さん、板野一郎さん、庵野秀明さんという、3人のエポックメイキングなエフェクトアニメーター(後に監督、制作会社代表)が集結したという意味です。
「日本のエフェクトアニメ史」の中でもこれは重要な指摘です。エフェクトがSFアニメの中で集客の核になるポジションに高めたアニメーターは、他に金田伊功さんという源流があります。金田さんの表現様式はトリッキーなタイミングやフォルムなどアニメーション特有の自由さ、破天荒さを求めたものですが、もう一方でリアリズムに基づく流れがあり、『超時空要塞マクロス』がその大きな結節点に位置づけられるわけです。
エフェクトにおける「リアリズム」とは、物理・化学といった自然界を律する法則を現実ベースでとらえ、アニメーションで可能な表現におきかえるという意味です。たとえば爆発にしても、実写をスロー再生やコマ送りすれば、そこには厳然と科学法則で説明できる「変化」を観察することができます。
最初にいきなり露出オーバーになるほど大きなエネルギーの解放があり、次に周囲の空気を巻き込んで燃焼になる。そしてその温度が少し下がって煙となりますが、ここで破壊された物体(「燃えがら」の略で「ガラ」とも呼ばれる)が飛ばされると、その軌跡に沿ってできた気流で角のようにとがった爆煙ができます。一瞬のうちにこうした激しい現象が発生するわけですが、人間の目と脳はその変化を害を及ぼすものか判断しつつ、驚きと好奇心を交えて見つめるようにできています。
 
(C)1982 ビックウエスト
エフェクトアニメの面白さは、本来は無機質な現象にすぎないものを「演出」と有機的に連動させて、感情や生理を高みへ持ちあげられるところにあります。爆発ひとつとっても映画のストーリーの中で起きることですから、どんな場所か、規模はどれくらいか、登場人物の運命にどう関係するのか、さまざまな要素と結びついて意味をもちます。ましてや爆発は本来的に二度と同じ現象が起き得ないものですから、もしパターン化されない一期一会の爆発であれば、よけいに目をひきます。そこまで行けばキャラや観客の心理を代弁するエフェクトもあり得るわけで、「効果=エフェクト」の真骨頂とは、そうした演出的影響を及ぼしうるものと言うことができるでしょう。
もうひとつ重要なことは、クリエイターによってエフェクト表現が大きく異なるということです。リアリズムベースとは言え、観察事象を脳にインプットし、線画とコマ撮りベースのアニメーション表現にアウトプットする過程で、「解釈」が必ず発生します。そこに正解はありません。人が何をもってリアルと感じるかという手がかりは、人によって異なる。その微妙な違いを表現しきれば、観客の現実把握を揺さぶ優れたエフェクトになり、作品自体にも高い次元での「面白さ」をもたらすのです。
三世代のエフェクトアニメーターが結集した『超時空マクロス』は、こうした考察の手がかりの宝庫と言えるでしょう。特に第27話「愛は流れる」では、まさに三世代のそろいぶみが見られます。

(第27話「愛は流れる」より (C)1982 ビックウエスト)
爆煙をひくミサイルと球や三日月になる爆発など、いわゆる「板野サーカス」と呼ばれるエフェクト。爆煙の後に気流が揺り戻すところまで描く、記録フィルムを元にした庵野作画。そして海面を割って進む高熱ビームや倒壊するビル群などが、『宇宙戦艦ヤマト』にも通じる石黒昇監督自身のエフェクト作画です(第1話の兼用ですが)。
「愛は流れる」には総力戦の迫力が感じられますが、それは決して物語の内容だけで成立したものではないということになります。三世代がそれぞれのとらえ方で渾然一体となって描きぬいたエフェクト。統一されていないがゆえに、そこに多彩な驚きが宿り、いろんな人が集まったお祭りのような喜び、解放感にまで昇華しているように感じます。
こんなアニメーションの奥深さにも、石黒昇監督のベテランの度量がはたした役割が大きかったと思います。
板野さん、庵野さんのみならず、この回の演出を担当した河森正治さん含め、当時20代の若手が何をやっても否定せず、興味をもって大きな気持ちで受け入れ、作品をまとめていった石黒昇監督――その残された作品が今も伝える「意味」を、今後も考え続けていきたいです(一部敬称略)。 |
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第49回 石黒昇監督と『鉄腕アトム』の深い関係
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[ カテゴリ 氷川竜介のチャンネル探訪 ] 2012-04-23 11:31:54
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この3月に急逝されたアニメ監督・石黒昇さんの話をもう少し続けさせてください。
日本のアニメ史が1963年1月から始まった30分連続TVアニメ『鉄腕アトム』で大きく発展したのは周知の事実です。来年で50周年を迎えるこのアニメ版『アトム』と石黒さんにも深い関わりあいがあります。
最初の『アトム』は4年間にわたって放送されたほどの人気番組でしたが、モノクロ作品のめ再放送がされなくなり、70年代に入ってから顧みられなくなっていきます。何度かカラーのリメイク企画もあったようですが、実際にリメイクが実現するのは1980年10月と80年代初頭となります。その監督が、石黒昇さんでした。
 
(C)手塚プロダクション
その直前、石黒さんは1980年3月公開の映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(監督:手塚治虫、杉山卓)に参加。ここではアニメーションディレクター(中村和子と共同)として、特撮的なエフェクトを中心に画期的な技法を次々に投入しています。実写の爆発を合成するという素人目にも分かりやすいテクニックもありますが、あらためて注目したいのはまるで後のCGのように見える映像の数々でしょう。
たとえば宇宙船が回転するカットでは手描きにしては崩れのない正確さが際立ちます。これは「ロト・スコープ」と呼ばれるもの。
本来は人間の演技をアニメーションに持ちこむため、実写で撮影したものをトレスする技法ですが、それをミニチュアに応用するところが石黒さんらしい発想でした。他にもスリットスキャンという機械的にストロークを反復した光を積みかさねる技法や、スキャニメイトという電子回路で映像を幾何学的に加工する「アナログCG」にも位置づけられる映像なども多用され、セルアニメとは違うひと味が映像に加わっています。
1980年版『鉄腕アトム』のオープニングにも、その一部が応用されています。メインタイトルではスキャニメイトを使ってロゴを回転させていますが、通常だとビデオ合成で画質が荒れるところが、透過光に置き換えられていて驚きます。どうやって撮ったのかついに聞き漏らしましたが、有名作品のネームバリューに甘んじることなく、未来につなげようという石黒さんらしい挑戦的な意欲が端的に出ていて、あらためて感心しました。
 
(C)手塚プロダクション
石黒さんは日本大学芸術学部映画学科を卒業、1964年提出のその卒論は「テレビアニメーションの将来」という先駆的なものでした。『アトム』が作られて間もなくのことであり、そんな研究に意味があるかどうかさえ定かでない時代です。『アトム』のオンエアをメモ書きでチェック、原作と比較しながらシナリオ、演出、作画を評価し、さらには虫プロダクションの制作現場に足を運び、担当演出家に取材をしながら書き上げたと言います。漫画単行本ですら一般化していない時期ですから、乏しい資料とオンエア一発勝負の検分だけで克明な研究をしようという開拓者的情熱には、敬服するしかありません。そのときの分析は、80年版の監督をするにあたっても非常に役だったことでしょう。
大学卒業後、アニメーターとしてもモノクロ版『鉄腕アトム』に参加した石黒昇さんですが、早くから原画マンとなり、ビル街を空撮したイメージの背景動画(バックをすべてアニメーションとして動かす技法)が認められたことが、非常に印象的だったそうです。こうした作画は枚数節約のためにリピートするのが一般的でしたが、ずっと描き送りで視点を移動させていく石黒作画には、やはり実験精神が活きています。
80年版のリメイク『アトム』のオープニングにも、類似の背景動画による空撮カットがあったので、このことを思い出しました。それはアニメ第1作を受け継ぎ、未来に向けてアトムを飛翔させてみたいという思い入れをこめた映像だったのでしょうか。アニメが文化である以上、「つくって消費されておしまい」であってはならないのです。石黒昇さんの仕事を振りかえったとき、至るところにこうした継承性が感じられます。そして、自分も何かを受け継ぎ、語り継がねばと身の引きしまる想いがするのです(一部敬称略)。 |
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第47回 渡辺宙明サウンドに熱血の魂が震える『神魂合体ゴーダンナー!!』
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[ カテゴリ 氷川竜介のチャンネル探訪 ] 2012-03-12 10:48:49
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東京国際アニメフェア2012の第8回功労賞顕彰者が、先日発表になりました。
(リンク:http://www.tokyoanime.jp/ja/award/winner/)
筆者も今年度は審査委員として参加してまして、3月24日の贈賞式を楽しみにしています。
どのクリエイターも功績が大きく、かねてから敬愛する方々ばかりです。特にそのキャリアの長さということでは、作曲家の渡辺宙明先生の受賞を嬉しく思っています。
本名は「宙明」を「みちあき」と読むのですが、先生自身が「“ちゅうめい”はペンネームです」と自己紹介されているように、その音楽は「宙明サウンド」と呼ばれて長年多くのクリエイターに愛されてきました。TVアニメの仕事は1972年の『マジンガーZ』からスタート。人が乗りこむタイプのスーパーロボットアニメというジャンル自体の立ちあげを、熱い主題歌・挿入歌とBGMで盛り上げました。同時期に特撮では『人造人間キカイダー』を手がけています。さらに1975年の『秘密戦隊ゴレンジャー』でスーパー戦隊シリーズの原点を担当。1982年には『宇宙刑事ギャバン』を手がけてメタルヒーローの原点に足跡をのこすなど、多くの原点にいるすごい方なのです。
とはいえ、これらが合流して今年のお正月映画『海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』でも熱い新曲を提供し続けている。
近年の戦隊シリーズやプリキュアシリーズでも挿入歌をずっと作曲され続け、今なお新たな子どもたちを感動させる曲を書き続けているという、この継続感が、真にすごいことなのではないでしょうか。そんな風に、アニメ特撮業界全体で屈指の連続キャリアの持ち主であり、生涯現役クリエイターの頂点とも言える方なのです。
バンダイチャンネルの月額1,000円作品の中で宙明サウンドの魅力が端的に分かる作品としては、2003年のロボットアニメ『神魂合体ゴーダンナー!!』および翌年の『神魂合体ゴーダンナー!! SECOND SEASON』がオススメです。
 
(C)2003 Project GODANNAR (C)2004 Project GODANNAR
主題歌や挿入歌は水木一郎、堀江美都子、串田アキラという輝かしいアニソン巨匠の熱唱。BGMも歴代のヒーロー特撮やロボットアニメから、スタッフのリクエストも交えての勇壮かつ華麗な名曲がそろってます。敵の襲撃から発進、迎撃、変形合体まで、聴いてるだけで熱く体温が上昇する、そのエネルギーたるや、筆舌につくしがたい感動ものです。
「神魂合体=しんこん・がったい」ということで、高校生の新妻を迎えたパイロットがロボット同士で合体、という一見パロディ的にも見える要素が満載の作品ではありますが、物語の姿勢は実に真摯なもの。時に迎える夫婦の危機など、共感できる感情の描写と、過酷とも言えるシリアスな展開には、思わずうならされます。しかし、最終的にはリズミカルでパワフルな音楽に乗せた必殺技のカタルシスも待っている。
そんな風に、圧力の高まったドラマが、ロボットアニメのもつ勢いとパワーみなぎる宙明サウンドを触媒にして、爆発的な気持ちよさをもつ高みへといざなう。そんな作品ではないでしょうか。映像と音楽が互いに響き合って一体となったとき、つきぬけるような快感が訪れる瞬間を、ぜひ多くの方に体験していただきつつ、宙明サウンドの魅力を再確認してほしいなと思います。
では、また次回(一部敬称略)。

(C)2003 Project GODANNAR (C)2004 Project GODANNAR
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第46回 メディア芸術祭の大賞を受賞した『魔法少女まどか☆マギカ』
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[ カテゴリ 氷川竜介のチャンネル探訪 ] 2012-02-24 23:57:11
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『魔法少女まどか☆マギカ』が月額1000円作品の仲間入りと聞いて、非常に感慨深いものがありました。
このタイミングは、実に運命的だと思えます。それは、ちょうど平成23年度[第15回]文化庁メディア芸術祭の受賞作品展が東京・六本木の国立新美術館において開催中だからです(2月23日~3月4日)。今回のアニメーション部門で『まどか☆マギカ』がTVシリーズのオリジナル作品としては初の大賞を受賞しています。

この賞は人気投票ではありませんので、筆者も審査委員のひとりとして「メディア芸術」の観点で「この作品はどういう位置づけにあるのか」ということを、真剣に考えました。もちろん劇団イヌカレーによる魔女や異空間のコラージュ表現など、絵的なルックや視覚表現が直接的にアート的な部分も多い作品ですが、それだけではないと思います。トータルで最先端の「アート」だと思える部分が多々あり、それが大賞にふさわしいという審査委員の総意に集約したと思っています。
そもそもの話をすれば、「魔法少女」というジャンルムービー(アニメ)は、よくも悪くも非常に節操がないものでした。大本は1960年代に『奥さまは魔女』や『かわいい魔女ジニー』などアメリカのTVドラマのシチュエーションコメディを、子ども向けアニメとして翻案したところから、その歴史はスタートしています。やがてそれがTVアニメ文化の発展とともに「変身」という要素を取り入れてアイテムの商品化に結びつけたり、あるいは怪人との戦闘やチームプレイという特撮的なアクション要素を吸収して、大きな支持とともに発展していきました。
そこには連綿と受け継がれてきた大きな「文脈(コンテクスト)」が、確実にあるのです。アートというものを考えるときには、このコンテクストをどう受け継ぐか、それを踏まえてさらにどう未来へ向けて更新するかが大きな焦点となります。
『まどか☆マギカ』は魔法少女ものの幾多もの「お約束」をざっくりまとめた上で、物語上のギミックとして実にうまく逆用しています。マスコット的なかわいいキャラが「魔法少女になる契約」をもちかけること――ある種のデフォルトとして観客がスルーしてしまうことを前提に、大きなトラップを仕掛けていることなどが、その典型でしょう。

そしてポイントは、それを単なるギミックに終わらせていないことです。中世の「魔女狩り」の例でも分かるとおり、使い魔との契約は、もともと人間性の根幹を揺るがす恐ろしいものなのです。そして魔女的なもの以前の問題として、「大きな力の獲得」は無償であるはずがない。それも幾多の神話で描かれてきたものです。こうした魔法少女以前までさかのぼる系譜をきちんと押さえているところが大きなポイントです。

大いなる流れ、コンテクストをふまえた『まどか☆マギカ』のストーリーは、クライマックスでは単なるビックリ箱の仕掛けを超えて、一度どん底まで落ちた後から「奇跡」という、現代では安売りされがちな言葉の本質を照射しつつ、感動の高みへと観客を導いていきます。それは現代の閉塞へのクリティカル(批評的)な姿勢を示しつつ、人の生きざまを根底から変えるぐらいのパワーの大きさを示しています。華麗なビジュアルとともに、誰もがそれを獲得しうるだろうと、普遍的な落着点に結びつけています。こうした感動が多くの人の魂に根をおろせば、きっと現実をも変えうるパワーにつながっていくことでしょう。
「アート」というのは語源的には単なる「人工物」という意味から始まっています。その「人の手によって変えうるもの」とは何なのか、アートが示す意味とは何か。『まどか☆マギカ』は、そういうことを考えさせてくれるメディア芸術の最先端なのです。
これから初めてご覧になる方も、この機会に再視聴される方も、自分たちが大きい流れの中にいて、人の手で何かを変えうるという観点で、本作を楽しんでいただけたらなと願っています。では、また次回(一部敬称略)。
(C)Magica Quartet/Aniplex・Madoka Partners・MBS |
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第45回 劇場版『機動戦士ガンダム』完結から30周年
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[ カテゴリ 氷川竜介のチャンネル探訪 ] 2012-01-19 12:25:25
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『機動戦士ガンダム』はTVシリーズの1979年が初出です。なのですでに30周年記念イベントは済んでしまったのですが、
実際にガンダムブームが爆発的になっていたのは劇場版『機動戦士ガンダム』3部作のときなので、少しタイムラグがあります。
劇場版第1作が公開されたのは1981年3月14日、
そして第3作目の「めぐりあい宇宙(そら)編」が公開されたのはちょうど1年後の1982年3月13日でした。
ということで、いまは実は「ファーストガンダム完結」からちょうど30周年のタイミングにあたっています。

さてその劇場版『機動戦士ガンダム』ですが、実はこの3部作自体の中には大きな進化を見ることができます。
基本的に物語とドラマの核は、TVシリーズとそんなに違いはありません。スタッフ側には「TVでヒットした要素をそのまま映画館で見せよう」という暗黙の了解があったと言います。
ただし、TVシリーズのガンダムは非常に厳しい環境で制作されたため、クオリティ的には少々厳しい部分もあります。特に絵柄については、アニメーションディレクターの安彦良和がかなり手をいれているものの、必ずしも統一がとれているわけではありません。
さらに1本の映画としてまとめあげていく都合もあって、「新作カット」が劇場用に多数制作されているのです。当時は、この新作部分をを見ること自体も劇場版の大きな喜びでした。安彦良和自身は「お色直し」というような表現をとっています。「少しは見栄えをよくしよう」という程度で、「劇場向けに力をいれました」ということではないということです。
しかしながら、この新作には独特の手法が使われてクオリティを高めているのも事実です。作画監督は他のアニメーターがあげてきた原画をチェックし、絵柄や動きがちがっていれば修正をかけます。後工程でクオリティをあげるわけですね。
一方、この劇場用新作は逆の発想です。レイアウトとラフな原画(第一原画)を手の早い安彦良和自身が、先に描きあげてしまうのです。これに対して若手アニメーターが第二原画として、動画に回すための清書を行ってタイムシートを整理します。前工程にクオリティ確保のリソースを集中するわけです。
これは『アルプスの少女ハイジ』などで宮崎駿がとっていたレイアウトシステムが元でもあり、後のアニメ制作にも大きな影響をあたえていますが、それはさておき。実はその「新作カット」の使われ方自体が、劇場ガンダム1、2、3で少し違っていて、それが隠れたみどころになっているのです。
1作目では本当にキャラクターの整っていない部分や、たとえば第6話と第9話をつなげたためにガンダムの手持ち武器が違うところの修正などに使われるのが大半でした。演出意図としては違わないわけです。ところが2作目では、もっと大胆にエピソードを圧縮していく都合もあって、シチュエーションごとの完全新作が目立ちます。
 
「機動戦士ガンダム」第6話 ガルマ出撃す/第9話 翔べ! ガンダム より
これが短いカットながらも、実に映画っぽい膨らみをもつ良い画が多いんですね。冒頭から砂嵐が吹き荒れるマ・クベ鉱山とか、ビッグ・トレーがオデッサ作戦に向けて移動中に野犬が追うとか、補給するホワイトベースの脇の草むらに名も無い兵士の死体があるとか、ほんのちょっとした描写が加わることでものすごく雰囲気が出ているのです。
さらに第3作目になると、新作の入れ方がもっとこなれてくるようになります。ちょうどTVシリーズでは安彦良和が倒れたパートでもあったため、新作の分量が3部作中もっとも多いこともあって、シークエンス単位で新作という箇所も増えています。さらにはTV版では動画マンだった板野一郎がメカやエフェクトを大量に受けもっているため、ちょうどイデオンとマクロスの中間ポイントにあたる「板野サーカス」も楽しめる、映画としてゴージャスなものになっていきます。
なので3本を続けてみると、1981年から1982年にかけてアニメがめきめきと表現力を上げていった時代の記録のようにもなっているんですね。ちょうどたまたま月額会員専用で24時間限定企画で、1/20から連続3日間、劇場版が配信されるとのこと。
そんな時代の進化を一挙に楽しむチャンスではないでしょうか。では、また次回(一部敬称略)。

(C)創通・サンライズ |
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第43回 空中の実体験を反映した『マクロスプラス』の映像
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[ カテゴリ 氷川竜介のチャンネル探訪 ] 2011-12-12 18:04:49
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シリーズ中屈指のクオリティを誇る『マクロスプラス』および『マクロスプラス MOVIE EDITION』。
アクセス数応援ということで、もう少し話を続けましょう。

(C)1994 ビックウエスト/マクロス製作委員会
マクロスシリーズの良いところは、少し時間が経ってからの方がよくわかる先端の問題意識を反映したテーマ設定や、
「なんでまたこんな無茶なことを」と思えるほどの高密度映像に出逢えることでしょう。
OVAの『マクロスプラス』では特にそういう側面が強くなっていると思います。
 
(C)1994 ビックウエスト/マクロス製作委員会
(C)1995 ビックウエスト/マクロス製作委員会
マクロス定番の歌姫シャロン・アップルは初音ミクを10数年も先取りして人工知能が産み出したバーチャルアイドルという設定。
ミュージシャンのPVでも知られる森本晃司の手がけたコンサートシーンでは、模索中だったセルアニメとCGの融合が多用され、
アニメーション撮影台では不可能な大きなカメラ移動、
手描きでは難しい幾何学図形との合成などなど驚きのビジュアルが続出します。
シャロンはコンピュータによるキャラクターという設定なので、それと親和性のある使われ方がポイントです。
プリントアウトとセルの組み合わせのローテクからフォールド中の金属的な質感のテクスチャ処理のハイテクまで、映像の持ち味を演出に応用して均質化を避けている工夫も、非常に好印象です。
 
(C)1995 ビックウエスト/マクロス製作委員会
もうひとつ本作の大きな注目ポイントは、「模擬空中戦の体験を反映したドッグファイト」です。
板野一郎特技監督と河森正治総監督がアメリカにわたっての空中戦は、筆者も最近になって河森監督自身の口から体験談をうかがい、感銘を受けました。
教官を横に乗せて飛び、操縦方法を習った上で自分でスティックを握っての模擬空中戦では、2機で飛びながらすれ違った後に戦闘開始。空中戦では闇雲に撃っても当たらないので、軌道を合わせて「後ろをとってロックオン、ファイヤー」というのが作法になります。犬が互いの尾を狙って争う「ドッグファイト」と呼ばれるのはそのためです。その射線を合わせる体感が『マクロスプラス』には焼きついているのです。
特に面白かったのは、実際の飛行機の操縦がゲームセンターの操作とはまるで違うという話です。
ゲームではフレーム内を見て自動車のように左右にスティックを振って進行方向を変えますが、飛行機は羽根がついていてその揚力で飛んでいるため、上昇することしかできません。右に行こうとしたときには、機体をひねりながら回って上がることになりますし、視線も真正面には向きません。『マクロスプラス』ではその体験から、すべてを「上昇旋回」としてきちんと描かれているのです。
もうひとつ興味深かったのは「Gの表現」です。
人間の身体はムクのフィギュアではないので、内部にさまざまな液体があります。
いきなり急加速してGが加わると、その液体に影響が出るわけです。
多くのSF映像作品では演出上の都合でこれが無視されていますが、それも反映したとのこと。
飛行中は6G以上出ていて首が回らず、しかしアドレナリンの影響で妙にハイになって痛くはないとか、
血が偏って視界がフッと消えてしまうブラックアウト経験をした板野一郎は
飛行機から降りてすぐその感じをコンテに起こしたとか、壮絶な談話ばかりでした。
クライマックスの戦闘では、パイロットの身体が大変なことになるシーンもありますが、すべてが実体験から導き出されたこと。
そんな作品はなかなかないと思います。ぜひとも体感を反映したドッグファイトを疑似体験してください。
では、また次回(一部敬称略)。
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第42回 マクロスの歴史を転換させた『マクロスプラス』と『マクロス7』
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[ カテゴリ 氷川竜介のチャンネル探訪 ] 2011-11-29 18:55:48
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2012年に30周年を迎えるマクロスシリーズは、初代『超時空要塞マクロス』から時間を追って発展しているクロニクル(年代記)の流れをもってはいます。しかし、ほかの作品のように緻密な年表に縛られるような厳密さがないところがユニークです。
たとえばTVシリーズ『超時空要塞マクロス』と劇場版の『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』は大枠で同じ話ですが、敵側の設定やキャラの性格づけなどが異なっています。これは、それぞれの作品が「事実をもとに再構築されたフィクションである」というスタンスをとることで、食い違いがあっても「解釈の違い」に落ち着けているわけですね。
1992年のOVA『超時空要塞マクロスII -LOVERS AGAIN-』も、そういう意味で傍流的な扱いになっているはずです。
『マクロスF』にまでつながる流れで非常に重要なのは、1994年にOVAと劇場版で制作された『マクロスプラス』と、同じ年に平行してTVシリーズで放送された『マクロス7』です。この時期からマクロスサーガの方向性はさらに拡がり、物語の舞台も地球と太陽系を離れて、銀河播種計画(宇宙移民)を前提に大きく拡がっていきます。この2作品は、まさに歴史の転換点なのです。
 
第1作目から、「宇宙船の中に街がある」という設定は核になっていました。現実とそれほど変わらない生活空間で日常描写も重ねつつ、銀河系規模のスケールの大きな旅を敢行する中で、戦闘のサスペンスとカタルシスもある。そんな多様な要素の接続は、「都市型宇宙船」の設定が可能にしたものです。規模をドーム型居住区をもつ宇宙船団にまで拡大させたのが『マクロス7』で、『マクロスF』もそれを直接的に継承しています。
 
一方の『マクロスプラス』は、移民済みの惑星エデンにおいて次期主力戦闘機のコンペが行われるという、舞台としては地上ものです。しかもマクロス名物「三角関係」は「女性ひとりに男性ふたり」という珍しい比率になっています。
総監督は河森正治ですが、ディテールを重視し、地に足のついた演出の監督は渡辺信一郎、エスニック調をとりいれた斬新な音楽は菅野よう子と、後に『カウボーイビバップ』で人気を博すコンビが注目されるきっかけとなった作品でもあります。オリジナルキャラクターデザインは『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の監督で知られる摩砂雪で、独特のシャープさで青春と大人の中間ぐらいの絶妙な年齢にある人物像を描き出しています(同時期にはアニメ版『帝都物語』も担当)。
『プラス』にちょっと大人な雰囲気をもった作品という評価があるのも、アニメチックな華やかでポップな雰囲気をもつ『マクロス7』と対照的にした結果で、ある種のアダルトなテイストをもつスタッフ陣の渋めの個性が大きく影響していると思います。また、OVA・劇場という前提もあってキャラ描写もメカ描写も濃密で、その点も大人っぽいです。
 
特に板野一郎によるバルキリーのドッグファイトは、作画で描かれる戦闘シーンのひとつの頂点を極めたと言って過言ではありません、驚くべき立体感あふれる視点移動の快感と同時に、メカの挙動からリアリティの重みが伝わってきます。マクロスと板野サーカスを語るうえでは必見の作品。劇場映画化された『マクロスプラス MOVIE EDITION』の方がまとまりが良いのと戦闘シーンが濃密なので、お得ではないかと思います。では、また次回(一部敬称略)。

(C)1994 ビックウエスト/マクロス製作委員会
(C)1994 ビックウエスト/マクロス7製作委員会
(C)1995 ビックウエスト/マクロス製作委員会
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第41回 イラスト並みの高密度作画を具現化した劇場映画
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[ カテゴリ 氷川竜介のチャンネル探訪 ] 2011-11-14 14:10:25
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「見放題全作品リスト」でマクロスシリーズって、「ま」のところに固まっているんですね。
そこには『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』('84)も登録されていて、嬉しくなりました。
これは「アニメのハイクオリティ化の歴史」を考える上で必見の作品と言えるでしょう。

「版権」という業界用語があります。アニメ本編で使われるものとは別に描きおろされたセルやイラストの総称で、
大本は菓子や運動靴などアニメの商品用にスタートしたもの。
当初、版権用の描き手は本編スタッフとは別に専門職が用意されていました。そのころのアニメは子ども向けという認識だったので、キャラのニュアンスがテレビと多少違っても、あまり気にされていなかったのです。
ところがアニメ専門雑誌が創刊される1977~1978年ごろに、事情が大きく変わり始めます。
中高生以上がアニメ商品を買うことになった結果、キャラクターデザイナーや作画監督など絵柄のニュアンスが重視され、オリジナルスタッフが版権イラストを描く機会が増えていくのです。
そんな「版権」は止め絵ということで、動くフィルムを意識したアニメ本編とは異なる密度感で描かれることが多くなりました。たとえばキャラクターはカゲ指定をもう一段深くつけ、場合によってはBL(ブラック)でニュアンスをつける。メカでは設定書では簡略化されたディテールやマーキングなどを、現実の兵器に即して描き足す。こうした描きこみは、サービス精神の現れでした。
ところがそういう時代になってしばらくすると、今度は「画の重み」(前回「クオリティ」の定義としたもの)が版権と本編で違っていることが、新たに気になり始めるわけです。
TVシリーズ『超時空要塞マクロス』のヒットを受けて劇場版の制作が完全新作ベースで決まったとき、劇場の大スクリーンに耐えるクオリティをという議論とともに、おそらくこの暗黙の欲求にどう応えるかが大きな問題になったはずです。

当時24歳だった河森正治監督(石黒昇と共同)を筆頭に、20代の若いスタッフたちはこの『愛おぼ』で、全編を通じて「版権」並みの描き込みをエネルギッシュに敢行しました。イラストのように細かく描きこまれたリン・ミンメイが鮮やかに動き、ディテールたっぷりの背景の前で歌い、しかもそれがホログラムのような未来感覚あふれるステージ演出でショーアップされる。さらに作画監督の板野一郎はTVシリーズをはるかに上回る密度とスピード感でメカや爆発、ビームなどのエフェクトを濃密に描きぬき、巨人族とバルキリーの戦闘で板野サーカスを見せる。交戦シーンがステージ上の歌唱と交錯するとき、一種のグルーブ感が生じていきます。
それは明らかにレベルが違う「ハイクオリティ時代」の到来を告げる映像でした。高密度な映像が歌や音楽との相乗効果で爽快感をもたらすという芸風は、そのまま『マクロスF』にも受け継がれていますが、今にして思えば情報に情報を重ねていくことで、相互の共鳴作用が「厚み」を出すということが狙いだったのでしょう。単純に情報の量を増やすことだけに意味があったわけではないことは、強調しておきたいことです。
この1984年は、押井守監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 』や宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』とアニメ映画が豊作で、しかも時代を変革させる性質のものばかりでした。しかも前年末でOVA時代が幕を開け、高額だったビデオソフトの購入動機という観点でも、いっそう「クオリティ」が問われていくようになります。そんな時流の中で『愛おぼ』は、ハイクオリティという観点でひとつの頂点を描きぬいた映画だったのではないでしょうか。では、また次回(一部敬称略)。

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